ナイチンゲールから学ぶ私の看護

 近代看護教育の母といわれるフローレンス・ナイチンゲールは、驚くことに、看護師として働いたのは、2年半だけであったが、その生き方に学ぶことは沢山ある。

 ナイチンゲールは、31歳で反対された看護の道に進む。戦争に従軍した時も、負傷兵の看病にあたらせてもらえなかった。それでも、目の前の人を救うために、環境を整えることは、死亡率を減少させると数値化してみせた。戦場の夜で、ランプを持って夜回りする看護師達の姿は、安心でき、希望を与える大きな存在であったと思う。40歳前で病になり、ベッド上の生活になっても、看護学校の設立等を考案し、濃く長い人生を送られた。彼女は、強さと優しさを併せ持ち、看護の重要な役割を広く世に気付かせてくれた。

 私は、主任になってすぐの時、看護師としての自信を失った。毎日毎日、ミスやトラブルが重なったのだ。そんな時、殆ど、話さない寝たきりの患者さんに、「おれ、おめえが一番いい。」と言われ、救われた。ナイチンゲールの名言に「私たちは、自分が誉められるためにではなく、私たちが選んだこの仕事に名誉をもたらし、それを前進させるために心を打ち込んで事を成し遂げていこうではありませんか。」とある。一人一人の考えや手技が違っても、志は同じ方向に向いている仲間と精一杯の仕事をしていくつもりだ。

 看護の日は、日本中の人が看護に関心を持つきっかけとなる日。この素晴らしい職業を、みんなの心に伝えると共に、私は、優しい目や言葉で患者を守り、レジリエンスを高めていきたい。

有隣病院 病棟看護師

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